NR500とNS500 -NS&NSR500 その2-
1976年末当時の本田技研工業社長の川島喜好によって10年ぶりにWGPに復帰する事が発表されました。
このプロジェクト為に創設されたのが入交昭一郎を長とするNR(NewRacing)ブロックです。
ホンダは2ストエンジンが独占状態だった当時のWGPに4ストエンジンで挑む事を決めます。
その為に開発されたのが長円型ピストン8バルブ4気筒の4ストエンジンを持つ「NR500」でした。
長円型ピストン(俗にUFOピストンとも言います)を持つエンジンは500cc4気筒をなんと2万2千回転まで回す超高回転型エンジンです。
NR500はボディもモノコックフレーム、サイドラジエータ、倒立フォークなど極めてユニークな物でした。
もしも、日本人の作る物にはオリジナルティがないなどと言う人がいたらこの「NR500」の事を話してあげてください。
それは正に独創性の塊でした。
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そして、79年よりWGP参戦を始めたNR500でしたが、故障が続出、スタッフが不慣れな事もあり、結果は惨憺たる物でした。
NRブロックのメンバーは徐々にNR500の熟成度を高めて技術やレースノウハウを蓄積していきましたが、NR500は勝てそうで勝てない状況が続きます。
NR500に関してはまた詳しく書く機会もあると思いますので、そのときにでも。
一方、NR500の熟成作業と平行して80年シーズン終了後にもう一つのレーサー開発がスタートします。
それが、後に「NS500」として結実する事になる2ストレーサーです。
NR500が勝てない事についてホンダのトップは何も言いませんでしたが、現場の営業からは勝てるマシンを!という声は日に日に増してきました。
なぜならその頃はヤマハとの激しいオートバイのシェア争い「HY戦争」の真っ最中であり、その為にもイメージアップに繋がるWGPでの勝利が必要とされていたのです。
ちなみにHY戦争の最中82年にホンダが発売したニューモデル数はなんと42機種にものぼり、それだけ激しい争いだったのです。
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| 後方2気筒の排気管はシート下から | 前方1気筒の排気管はスィングアーム下に |
また、入交昭一郎を初めとしてNRブロックの上部が高く評価をしていた天才の呼び声も高い若手ライダー「フレディ・スペンサー」がNRの可能性は認めつつも最年少でのWGPタイトル獲得するために早期に勝てるマシンを切望していた事も要因の一つです。
そして、なにより複雑で高度なメンテナンスが要求されるNRのエンジンでは市販レーサーの発売は絶望的という事がありました。
そういった事情からNRブロックとしては苦渋の決断ながらも2ストレーサーの開発はスタートしたのです。
開発のリーダーはNRブロックで2ストモトクロッサーを担当していた宮腰信一があたる事になりました。
宮腰はモトクロッサーのエンジンを複数合せた様なロードレース用エンジンの提案を以前入交にしていたのです。
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| コムスターホイールはアルミとカーボン製が有ります。 | チェーンのコマまで精密に再現されています。 |
宮腰は新しい2ストレーサーは最高馬力よりも軽量・小型で旋回性能に優れるマシンを追求する方針を立てます。
最高馬力で劣っても、軽量で全面投影面積の少ないシャーシに搭載できれば、最高速では劣らず(ブレーキの効きも良い)、扱い易いエンジンに仕上げる事も可能だからです。
またこの時期、出力は130馬力に迫りつつありましたが、その出力にタイヤの性能が追いつかなくなりつつあった事も方針決定時の大きなファクターとしてありました。
エンジンは当時二軸で前後に2気筒ずつ配するスクエア四気筒が主流でしたが、新しいエンジンは出力よりも軽量を追求し一軸112度V型三気筒(前一気筒、後二気筒)としました。
吸気系にも高回転時に有利なロータリーディスク・バルクではなくモトクロッサーで採用されていたシンプルなピストンリード・バルブが採用されました。リード・バルブを採用したのは低速時の扱いやすさと始動性の良さを見込んでです。
当時のWGPは押しがけスタートでしたので、始動性が良ければ3~5秒のリードを得る事ができました。それは逆に始動性で苦労したNR500からの教訓でもありました。
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| ハンドル周辺。メーター周りは黒いハードスポンジが正解 | ショーワのフロントフォークとニッシンの異径4ポッドキャリパー |
車体周りはNR500で得られたデータを元に設計された鋼管丸パイプのダブルクレドールタイプのフレームが採用されましたが、4ストよりピックアップの良い2ストエンジンではフロントが浮きやすくなってしまう為に、フロント周りの強化や前輪加重の見直しなどが行われました。
リアサスペンションにはやはりオフロード系で実績のあるプロリンクタイプのモノサスが採用されています。
エンジンこそ三気筒リードバルブと変わっていますし、部分部分にはNRからフィードバックされた最新技術が使われているものの、全体としてはその当時のオーソドックスな構成の車体です。
技術的にはモトクロッサーやNR500からの持越しが多いだけあって新しい2ストレーサーは1年あまりという短期間にて完成し「NS500(NSはNewSprintracerの略)」と名付けられました。
NS500は1982年3月14日の鈴鹿2&4レースにて片山敬済と阿部孝夫のドライブにて4位と7位というまずまずの成績でデビューを飾りました。
そして、3月28日にはいよいよ82年度WGP開幕戦アルゼンチン・グランプリを迎えます。











木下選手が全日本で一勝(入賞?)したかどうかでしたっけ?
栄光のホンダを回顧したか4ストで参戦するホンダにはたまげたものでした。
ここで苦しんだノウハウがVF、RVF、VFRの4ストマシン、NS、NSRの2ストマシンへと継承されていったのが感慨深いですね。
それにしても綺麗な画像です。素晴らしいですね。
NRの勝利は鈴鹿200kmですね。
その木山選手もNS500に乗換えた後に還らぬ人となってしまい、大変惜しいライダーを亡くしたと思います。
NSが最初から勝てるマシンとなったのもNRで苦労した経験が貴重なノウハウになったのだと私も思います。