Modelcar beginner's garret -ミニカー初心者の屋根裏部屋- 最近ミニカー収集を始めた初心者のブログです。皆様ご指導ご鞭撻をお願いします。

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フレディー・スペンサー -NS&NSR500 その4-

たいへんお待たせいたしました。
NS&NSR500編の続きです。


NS500&NSR500


前回からの直繋がりですのでもう何処で話が切れたか忘れちゃったよという方はコチラの最後の方だけでも読んで思い出してくださいませ。
たいへんお手数をお掛けし誠に申し訳ございませんです。「(^^;)
それでは、続きをどうぞ。


そして、ピット前をロバーツが先頭で通過して行きコーナーに消えて行ったときにホンダの人々もヤマハの人々もロバーツの勝利が決まったと思いました。
しかし、一人だけ諦めていない男がいました。そうスペンサーです。
彼は許された限界以上にエンジンを回してロバーツを追撃し、ロバーツとの間をギリギリまで詰めて行きます。
ロングストレート終端の右コーナー、勝利を確信したロバーツのインが少し開いた瞬間、そこにスペンサーは強引にフロントを割り込ませます。
割り込まれたロバーツは堪らずダートに飛び出し、オーバースピード気味のスペンサーもダートに飛び出して行きます。
そこから一瞬早く立ち上がったのはスペンサーでした。
そして、そのままトップでゴール!スペンサーの執念が生んだ逆転でした。
レース後ケニー・ロバーツは納得がいかないような表情を浮かべていたものの、危険行為等の申し立てはせずに静かに立ち去ったそうです。


NS500 0401 NS500 0402

これによってスペンサーとロバーツのポイント差は5ポイント、最終戦でロバーツが優勝してもスペンサーが2位に入賞すればスペンサーのタイトル獲得が決定します。
タイトルに王手を掛けたフレディ・スペンサーはこの時若干21歳でした。
1961年12月20日にルイジアナ生まれの彼は6才頃より父親とダートレースなどに参加、79年からは名メカニックとして名高い日系三世アーブ・カネモトに預けられプロデビュー、デビューした年にはノービスチャンピオン、翌年にはエキスパートチャンピンオンを獲得とたちまちのウチに頭角を現しました。
スペンサーの走法は、マシンをバンクさせている時間が短かく、ピークパワー域を極端に多用するのが特徴です。
マシンがバンクした瞬間にはエンジンをパワーバンド域に突入させそのパワーでタイアをスライドさせマシンは素早く脱出方向を向きます。
結果としてコーナー立上りで全開にするタイミングが早くコーナーを素早くクリアして行きます。
その才能故かマシンのセッティングが出ていない状態でも良いタイムが出てしまうためにメカニックはセッティングの良否の判断に悩み、アーブ・カネモトなどは走り終えた後ヘルメットに残った汗の量から運動量を推測し判断の助けにしていたなどと云われています。


NS500 0403   NS500 0404
片山機の場合はここのネームは「T.K with SUGI」と入ります   リアエンドカウルはホンダ独特の長く大きいタイプです

最終戦のサンマリノGP はイモラにあるサーキット「オートドモーロ・ディノ・フェラーリ」での開催です。
予選の結果はトップがロバーツ、2位がスペンサー、3位にホンダのマルコ・ルキネリ、4位にスズキのランディ・マモラ、5位にヤマハのエディ・ローソンでした。
片山は予選中に転倒、両足と背骨に骨折を負い決勝に出る事は叶いませんでした。
レースはやはりロバーツとスペンサーのトップ争いになりますが、ロバーツはチームメイトのローソンが追いつけるようにあまりペースが上がらないようにスペンサーを押え続けます。逆にスペンサーはあまりペースが落ち過ぎないようにロバーツを牽制して行きます。
そして、この勝負のキーマンとなったローソンはスタートは出遅れたものの、その後予選以上のペースで追い上げ4位にまで上がってきます。
その前を行くのは81年のチャンピオン、地元開催で燃えているルキネリです。ルキネリにはチームオーダーは出ていませんでしたが、ローソンを押えにいきます。


NS500 0405   NS500 0406
後方が絞り込まれたタンクは使い勝手が良さそうです   ショーワの正立タイプフォーク。ノーズダイブを防ぐTRACが装備されています

ローソンがルキネリをやっと退けたのは17周目、残りは8周、トップとの差は約10秒追いつくのが不可能な数字ではありません。
ロバーツはペースを抑えつつローソンを待ちますがローソンの頑張りもそこまででした。
ルキネリとのバトルでタイヤも気力も使い果たしてしまったのです。
斯くして1年にわたる激戦は終わり、僅か1ポイント差でしたがスペンサーがワールドチャンピオンとなりホンダに16年ぶりのタイトルをもたらしました。


NS&NSR01


翌年、ホンダはスペンサー用マシンとしてNS500に代わって90度V型4気筒を搭載した新型「NSR500」を用意します。
NSR500-タイプI型はマスの集中化を狙って、従来燃料タンクがあった位置に排気管を配し、タンクはアンダーカバーと一体化しエンジンの下に配置するという上下が逆になった斬新なレイアウトのマシンです。
が、あまりに革新的すぎたレイアウトは欠点も多く、流石のスペンサーもマシンを持て余し、レースによってはNS500で出場したりしました。
結局この年スペンサーは年間4位に留まり、タイトルは前年辛酸をなめたヤマハのエディー・ローソンが獲得します。
それでもNS500を駆ったマモラ、ロッシュハスラムがそれぞれ2、3、5位を獲得しコンストラクターズタイトルはホンダが獲得しています。


NS&NSR02 NS&NSR02
'83NSと'87NSRの前面投影面積の比較。
4気筒のNSRがかなりスリムに造り込まれているのが分かります。

この結果に気落ちしたスペンサーに新たに提示された目標は250と500のダブルタイトル制覇でした。
複数クラスの制覇は60年代までは何人かのライダーが達成していましたが、マシンの出力が上がりライダーに掛かる負荷が増えた70年代以降は達成した者がいませんでした。


マシンは250ccクラスにはホンダが新たに用意した「RS250WR」これは85年型のNSR500-タイプIIのエンジンを半分にした様なマシンで、市販レーサーがメインだった250クラスでは明らかに他を圧倒するパフォーマンスを有していました。
一方500ccはレイアウトを従来のタイプに戻したNSR500-タイプII型です。
この年スペンサーはインディ・ウィークの3タイトル制覇に始まり、圧倒的な強さを見せ、挑戦一年目にしてWGPの250と500のダブルタイトル制覇を達成してしまい、その類い希なるタレントを見る者の胸に刻みつけたのです。


NS&NSR03   NS&NSR04
サイドから見た両機種の形状比較
球形に近い形状のNSから少しずつ現代のくさび形のカウル形状に近づいているのが分かります
個人的にはNSの形状の方が美しくて好きですが

しかし、天才はその輝きをこの年以降急激に失っていきます。
86年初戦スペインGP、2位に9秒近い差をつけていた中盤、右手首の痛みを訴えてピットイン。そのまま、リタイアしてしまい、この年は殆どレースに出れない状態が続きます。
87年は転倒と怪我のオンパレードです。
まずデイトナで転倒に巻き込まれて、鎖骨骨折。
WGPに入ってからも第3戦に膝カップが割れ、第6戦は予選中にラインをふさがれ転倒、鎖骨骨折。
復帰した第9戦ではリアタイヤがロックし、リタイア。第12戦も後続ライダーに追突され、転倒。第14戦では、コンタクトレンズが曇りペースダウンを余儀なくされます。
そして、右手首も手術を受けても完治せず、結局88年の第1戦日本GPでスペンサーは引退をしてしまいます。
その引退記念走行は2度もWGPを制覇したチャンピオンのものとしては盛り上がりに欠ける面が有り、やや寂しいものでした。


NS&NSR05   NS&NSR06

引退後は右手の治療を続けながらも四輪のレースにも出場したりしていたそうですが、ヤマハのアゴスチーニに誘いを受けた事から引退を撤回、89年には再びWGPに戻って来ますが、思うように走れずシーズン途中でチームを去ります。
しかし、その後右手の症状は脊髄の圧迫に依るものである事が判明しました。
背骨の手術を受け完治した後の92年、鈴鹿8耐に桜井ホンダのチームミスタードーナツから鶴田竜二とペアを組み出場、並居るワークスクラスのマシンを相手に転倒しつつも4位に入る健闘を見せ、往年のファンを熱くさせてくれました。
その後、8耐には99年にホンダの依頼で出場していますが、この時はフリー走行中の転倒で右手の甲と左手の小指を骨折、本戦に出場する事はできませんでした。
スペンサーは現在ラスベガスでライディングスクールを主催しています。
83年のチャンピオンマシンNS500は現在このライディングスクールに展示されているそうです。

スペンサーが世界舞台の第一線で輝いた期間は短かったですが、その走りは眩いばかりの光を放ち、当時を知るものにはきっと忘れる事ができ無いものの一つではないかと思います。


ns500en

ホンダ | 投稿者 BK-BEL 01:15 | コメント(0)| トラックバック(0)
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