ホンダ NSR500 '87 #02 1/24 チャンピオン・バイク・コレクション No.4 -NS&NSR500 その8-
いよいよ長かった今回のシリーズもようやく最終回に辿り着きました。
今回はワイン・ガードナー・ストーリーの後篇です。
モデルはデアゴスティーニ・ジャパンから隔週刊で発売中のチャンピオン・バイク・コレクションの4号に付属のNSR500にスイッチします。
ちなみに次週発売の53号は、エルフ・プロジェクトのハブ・ステアGPマシン、ロン・ハスラムドライブ「eif3」が登場です。久々に発売が楽しみです。
では続きをどうぞ。
82年、ガードナーはイギリスのホンダとスズキのチームから誘いを受け、イギリス・ホンダを選択、契約を交わす事となります。
この年は幾つかのレースで優勝したものの年間を通してはイギリス・スズキのマシンの方が速くそちらで走っていた友人のロジャー・マーシャルにタイトルは持って行かれてしまします。
83年、それまでの4サイクルマシンから2サイクルのRS500に乗り換えた彼は順調に勝星を重ねていき、オランダGPでWGPに初挑戦となります。
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| パッケージの表はこんな感じ | 開けるとこういう風にモデルが収容されてます |
初出場でしかも戦闘力的にもやや劣るRS500での参加にもかかわらず予選を10位という好成績で通過したガードナーでしたが、本戦では転倒した前年チャンピオン、フランコ・ウンチーニに不運にも激突、ウンチーニは生死の境をさまよう事になりガードナーは彼が死んだら自分はレースを引退すると泣き崩れたといいます。
幸いウンチーニは一命を取り留め、その後レースにも復帰しました。
この年イギリスTT-F1タイトルは獲得したものの、ガードナーは運に見放されたかの様に転倒続きとなり手の骨を2ヶ所と足の骨、さらには背中も痛めてしまいます。しかし、彼のファイト溢れる走りはイギリスのファンの心を掴んだのでしょう「モーターサイクル・ニュース」誌が選ぶ「マン・オブ・イヤー」にバリー・シーンやロン・ハスラムといった名だたるライダーを抑え選ばれています。
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| 台座はこんな感じです | ||
84年、彼はWGPにフル参戦を希望しますが、イギリス・ホンダはその為のスポンサーを見つける事が出来ませんでした。
そこで彼はマシンにのみをホンダに供給して貰いプライベーターとして5レースに参加し最高3位、年間を通じて7位という好成績を残します。
イギリス国内でもTT-F1、シェルオイル500cc、MCNマスターズなどの主要タイトルを総ナメにする大活躍でした。
また、この頃スペンサーの走りを参考にパワースライド走法を完全に身につけた様です。
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| フロントカウルの傾斜がややつきすぎですが、それ以外は全体の形状は良好です。 | ||
85年もスポンサー探しに苦労したイギリス・ホンダでしたがこの年からファクトリー・ホンダをスポンサードする事になったロスマンズ・インターナショナルがイギリス・ホンダもスポンサードする事になりガードナーと僚友のハスラムにもNS500が与えられる事となりました。
イギリス・ホンダは他の全てのチームがミシュランを使う中唯一ダンロップを使用しており、タイヤのミスチョイスに依るものと思われるトラブルに苦しみつつもランキング4位に入る活躍をみせます。
また、日本においても鈴鹿BIG2&4、そして鈴鹿8耐においても優勝し日本での人気を不動のものとします。
その後も彼は86・91・92年と4回鈴鹿8耐に勝利し2005年に宇川徹が5回目の優勝を記録するまで長く最多優勝の記録を保持していました。
※暑いのが苦手な彼は夏の鈴鹿8耐はあまり楽しいレースではなかった様ですが。
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| ご覧の通り価格の割には細部の仕上げもガンバっているのであります。 | ||
86年遂にファクトリー・ホンダと契約するする事になったガードナーはスペンサーと同じNSR500を与えられます。
前年250と500のダブルタイトルを獲得したスペンサーでしたが、この年は殆どのレースに参加できず急遽ガードナーがホンダのエースライダーを努める事になりますが、ほぼスペンサー専用に調整されていたNSR500には大変苦労を強いられる事になります。
セカンドライダーもいない孤軍奮闘状態で3勝をあげたもののヤマハのエディー・ローソンとのポイント差は大きくランキング2位でしたが、本人の不満は大きかった様です。
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そして87年、スタート方式が押し掛け式からクラッチ。ミート式になった最初のシーズンです。
シーズン前の予想ではガードナーの優勝を上げる人は少なくローソンやスペンサー、はたまたニール・マッケンジーをチャンピオン候補として上げる人が殆どでした。
しかし、蓋をあければローソンはマシンの不調に悩みスペンサーとマッケンジーも序盤に早々と脱落、優勝争いは外足をステップからを外すマモラ乗りで有名なランディ・マモラとガードナーの二人に絞られます。(後半からはローソンも復活、優勝争いに絡みます)
ガードナーはこの年、前年までの荒々しいライディングとは見違える様なスムースなライディングを披露し、マシントラブルやタイヤのミスチョイスなどもあったにも拘わらず全線でポイントを獲得、最終的にマモラ、ローソンに20ポイント以上の差をつけて初のWGPタイトルを獲得します。
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左が今回のモデル(ixo製)、右が前回までのミニチャンプス製です。 タバコ規制でロスマンズのロゴが使えないのでixoは「Rothmans」の変わりに「Racing」って入れてあます。 どっちの対応が好みかは人によって異なるでしょうね。 |
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翌年以降はエディ・ローソンに加えケビン・シュワンツ、ウェイン・レイニーもフル参戦する様になりガードナーも加えたこの4人の4強と呼ばれる時代に突入して行きます。
88年はエンジンが勝りすぎたNSR500のコントロールに手こずりランキング2位に終わってしまいます。
そして翌年以降、彼は怪我との戦いに終始して行く事になります。
元々割と激しい走りの彼は転倒の多いレーサーでもありました。
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| 「Racing」マークは他にもナックルガードとフロントフェンダーに入っています | ||
89年は第3戦で転倒、その怪我で5レース程参加キャンセル、復帰後も芳しくなくランキング10位で終了します。
90年は第2戦で転倒この時の怪我はそれ程でも有りませんでしたが、第4戦で他のライダー転倒に巻き込まれて肋骨を骨折、続く第5戦で右足を骨折、第5・6戦を欠場、復帰後は全て入賞または優勝したもののランキングは5位に留まります。
続く91年もランキング5位に留まった彼はホンダのエースの座を同じオーストラリア出身のミック・ドゥーハンに明け渡してしまいます。
そして92年も初戦で右足を骨折してしまい6戦までの参加をキャンセル、そして11戦で引退を表明しますがその11戦で優勝、続く12戦で4位、最終13戦でも2位に入るなど最後にまた熱い走りを見せてくれました。
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| ミニチャンプスでは何故か省略されていたタイヤの「MICHELIN」ロゴも入っています。 | ||
幼い頃からその才能を注目され若い時期から順調に階段を上ってきたスペンサーとは対照的に、苦労してステップを積み上げてきたガードナーは、その熱い走りと最後までレースを諦めない姿勢で有る意味非常に日本人好みのタイプのレーサーといえるでしょう。私も大好きなライダーの一人であります。
また彼の活躍した時代は毎年の様にチャンピオンが交代しマシンにも矢継ぎ早に新デバイスが搭載されるなどWGPの話題が豊富で面白い時期でありました。
今シリーズの初回で触れた様にスペンサーの登場時期から日本ではレーサーレプリカといった種類のバイクが非常に売れる様になりました。
しかし、ガードナーが引退した後の時期からはミック・ドゥーハンの5連覇などホンダの一人勝ち時代になり、またパワーアップは続いたものの目新しいデバイスも投入されなくなって来たことなどもあり日本でのWGP人気は急速に低下、レーサーレプリカもネイキッドバイクに人気を奪われて行きました。
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ミニチャンプスとの比較(1/12と1/24です) |
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今年、鈴鹿八耐は久しぶりに前年の観客動員数を少し上回ったそうです。
日本でもまたあの頃の様に二輪のレース人気が高まると良いですね。





















ファンも多いせいか「チャンピオンバイク」も早く売り切れてしまっていて、ドルフィンは書店取り寄せしてもらいました。
ガードナー、シュワンツ、ローソン、そしてロバーツらが参戦してきた頃の8耐は盛り上がりましたね~。
「elf3」購入しましたよー。創刊されてからずぅ~っと待っていたマシンです。
チャンピオンバイクのelf3、実は会社近所の書店に入荷して無くまだ購入してません。T_T
今度の休みにでも買いに行かなくっちゃ。
平が初めてワークスでWGPに2戦スポット参戦した際に、非ワークスのUKホンダからエントリーしたガードナーが一度は上位入賞したことには吃驚したものです(平なにやってんだーとも思いましたが)。
といってもガードナーも荒さの残るライディングながらも速かったですが。